攻城団からのお知らせ

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日本五大山城のひとつ、難攻不落の七尾城を訪問してきました

この記事は七尾歴史たび研究会に協賛いただきました。ありがとうございます。

前日に七尾入りしていたので、朝からレンタカーを借りて七尾城を訪問してきました。
七尾城は本丸近くまでクルマでいけちゃうので、多くの方はメインエリアだけ見学して降りちゃうと思いますが、今回は二の丸、三の丸も歩いてきたので写真たっぷりで紹介します。

駐車場から歩いてすぐのところに「調度丸」と呼ばれる曲輪があります。
「調度丸」という名称は弓矢などの武具(=調度)を整えた場所だから名づけられたそうです。

ここは七尾城のフォトスポットのひとつですね。
階段状に築かれた野面積みの石垣が見事です(完全に当時のままではなく、一部は積み直されています)。

七尾城は部分的に前田利家が改修したとかしないとかという話もあるようですが、基本的には織豊期以前のお城なので、天守はありませんし、石垣も高く築けなかったのでおのずとこうして段々になります。
でもそれが残っているというのがすごいことですよね。

これが城址の全体図です。
今回は本丸から二の丸、三の丸、さらに安寧寺跡をまわる、約90分のコースを歩きます。

一段上がったところが「桜馬場」です。ここから本丸跡に向かいます。
熊本城や高岡城など全国各地に「桜馬場(桜の馬場)」がありますが、どうして「桜馬場」という名前なんでしょうね。この当時に桜の木が植えられていたのでしょうか。

ここから本丸跡にのぼる階段脇の石垣も見事です。

本丸跡です。

立派な城址碑があります。

城山神社です。

この日は曇りだったので、雲が多かったのですが、快晴時にはとても見晴らしがいい場所です。
(奥に見えているのはコースケさんです)

いったん桜馬場に戻って、反対側に向かいます。
このあたりにも低い石垣が残っていますね。

二の丸跡です。

二の丸はそれほど広くはありません。
七尾城は典型的な連郭式の山城なので、文字通りこうしたほどほどの広さの曲輪(削平地)が多数連なって構成されています。

いまは木で見えませんけど、この先には七尾湾があるので、敵を監視する場所でもあったのかもしれません。

つづいて三の丸に向かいます。整備されてはいますけど、けっこう急な階段です。

三の丸跡です。季節的にいちばん草が生い茂ってる時期で、夏前には地元の方々が草刈りをしてくださるそうです。

さらに安寧寺跡までいきましょう。

安寧寺とありますが、ここに寺がいつ建立されたのかはわかっていません。
現在ここには畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦での戦没者を弔う慰霊碑があります。

ひととおり見学できたので、ここから駐車場まで戻ります。
帰りは来た道を戻るのではなく、調度丸までつづく道があります。

途中、見晴らしのいい場所があります。

ここは「旧道(または古道)」と呼ばれている、山麓から歩いてのぼる道との合流地点です。

今回はクルマを使いましたが、いつか歩いてのぼってみたいものです。
ちなみにこんな感じの道なので、わりとのぼりやすいほうだと思いました(でもじっさいにのぼるとしんどいかもしれませんが)。

お弁当などの荷物をクルマで上まで運んでもらって、ペットボトルとカメラだけ持ってのぼるならトレッキングとしていいかもしれませんね。

これは「とよの水」という水源で、枯れたことがないそうです。
山城は水の確保がなにより重要でしたから、当時は重宝したんでしょうね。

このあたりはウッドチップが敷いてあって歩きやすかったです。

ようやく戻ってきました。奥に石垣が見えますね。

ここは調度丸のすぐ下にあたるのですが、石垣を下から見上げる感じになるので迫力のある写真を撮ることができます。

畠山氏が150年にわたって居城とした七尾城は日本五大山城のひとつに数えられており、難攻不落といわれるほどの強固な城でした。
じっさい上杉謙信に包囲されても一年にわたって持ちこたえています。最終的には重臣の裏切りによって落城するわけですが、それは謙信をもってしても力攻めで落とせなかったともいえます。

こうして自分の足で歩いてみることで、縄張りの大きさを実感できますし、石垣などの遺構もかなり良好に残っているので、散策しがいのある山城だと思います。
当時はいまのように木も植えられてなかったので、より攻めづらかったでしょうね。

七尾城史資料館

七尾城のある城山の麓にあるのが七尾城史資料館です。
ここには七尾城にかんする資料や出土品が展示されています。

今回ぼくは天気が心配だったので先に城址に向かいましたが、できれば資料館で予習してから城址に向かうことをオススメします。
復元CGなどもあるので事前に見ておけば、二の丸や三の丸など遺構がほとんどない場所を歩くときの参考にもなりますしね。

七尾城は全体的に整備されきっていないのがいいです。
かつては竹田城もそうだったのですが、いまの竹田城は石垣の縁に立ったりすることはできません。有名になり観光地化することはもちろんいいことではあるのですが、一方で事故などのリスクが高まるためにロープが張られ、見学できる場所が制限されるなどのデメリットもあるんですよね。

ぼくらはいま七尾城にもっと観光客が来るようにとプロジェクトを進めているわけですが、願わくばいまの野趣あふれる雰囲気を壊さずに、あの上杉謙信が攻め寄せても持ちこたえた戦国山城の迫力を維持したいなと思います。

山麓から歩いてのぼるトレッキングツアーもやりたいですね。

   
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この記事は七尾歴史たび研究会によってスポンサードいただいています。

七尾歴史たび研究会(七尾商工会議所・のと共栄信用金庫)からのお知らせ

七尾城跡は戦国初期の雰囲気がのこる標高約300mの尾根に築城された山城です。1577年(天正5年)、上杉謙信との戦いに敗れるまで約150年、能登畠山家の居城として城下町とともに繁栄していました。本丸跡や旧大手道からは七尾湾をはじめとした能登半島を一望できる絶景が楽しめます。
畠山家が治め「天宮の城」と称された城跡散策と、上杉謙信が感嘆したといわれる眺望をぜひお楽しみください。また目の前に広がる七尾湾は天然の生け簀としてさまざまな魚介類を味わうことができます。

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