獅子吼城は武田氏一門の江草氏の居城として知られています。武田信玄の時代には、烽火ネットワークの中継基地として、重要な場所であったと考えられています。武田氏滅亡後に起きた「天正壬午の乱」では、北条軍が占拠しましたが、服部半蔵が率いる伊賀組、武田氏遺臣の津金衆・小尾衆らが夜襲をかけて落城させました。その後、和睦が成立し、甲斐が徳川領となると廃城となりました。現在城址では大規模な石塁の遺構を見ることができます。 ※以前は林道から登城することができましたが、現在は私有地のため通行禁止をなっています。現地案内板を確認してください。
目次
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788.4 m( 130 m)
内郭:-- 外郭:--
着工 1320年(元応2年)以前
1582年(天正10年)頃
信田氏、江草氏、武田氏、北条氏、徳川氏
曲輪、石塁、竪堀、堀切、虎口
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 788.4 m( 130 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | |
築城開始・完了年 | 着工 1320年(元応2年)以前 |
廃城年 | 1582年(天正10年)頃 |
主な改修者 | |
主な城主 | 信田氏、江草氏、武田氏、北条氏、徳川氏 |
遺構 | 曲輪、石塁、竪堀、堀切、虎口 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 03:35:53
獅子吼城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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