毛呂山城は「毛呂氏館」とも呼ばれています。毛呂氏は藤原季仲の子・季清を祖とする一族で、季清の子、毛呂季光は源頼朝に信任され、源氏一門に準じた待遇でした。その後も毛呂氏は越生郷から比企郡にまで勢力を拡大し、戦国時代末期の当主、毛呂顕重は北条氏の配下となり、関東各地に転戦しました。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めがはじまると、顕重以下の毛呂一族は八王子城の守備を命じられましたが、落城にともない一族の多くは討死し、毛呂氏は滅亡しました。現在、城址には毛呂顕季、顕繁父子により1525年(大永5年)に開基されたと伝わる長栄寺がいまも残っており、毛呂氏一族の墓と供養塔があります。また裏山の山林内には土塁と空堀の遺構が残っています。
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