猿掛城は庄氏・三村氏・毛利氏による備中の覇権争いの舞台となった城です。1574年(天正2年)には毛利氏と友好関係にあった三村元親が織田信長と結んだことに起因する「備中兵乱」の際には、毛利氏の三村氏攻略の前線基地となりました。三村氏の滅亡後、毛利元就の四男・元清が猿掛城主となり、その際に猿掛城のあった穂田郷という在名から穂田(穂井田)を名乗るようになりました。また、1582年(天正10年)の羽柴秀吉による高松城水攻めの際には毛利輝元の本陣として使われています。現在も城趾には土塁や石積みなどの遺構が残っています。
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