別名 要害城、積翠山城、丸山の城、石水寺城
要害山城は躑躅ヶ崎館の詰め城として、武田信虎によって築かれた城です。武田信玄の生誕の地と伝えられています。1575年(天正3年)の長篠合戦で大敗した武田勝頼は、翌年要害山城の修築を命じています。武田氏滅亡後も徳川氏により改修し維持されていましたが、羽柴秀勝が甲府に入り甲府城を築城したことにともない、躑躅ヶ崎館とともに廃城となりました。現在は国の史跡に指定されており、山頂の本丸を中心に、虎口の遺構や野面積みの低石垣もわずかに現存しています。また、武田信玄公誕生之地の石碑が建てられています。
要害山城を訪問した1185人の報告によれば、平均見学時間は1時間10分、平均評価は3.26点となっています。
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要害山登山口駐車場
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