要害山城に設置されている案内板の内容を紹介します。
要害山
要害城は、永正17年(1520)に武田信虎が築いた山城です。居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立てこもる詰(つめ)の城としての役割を担っていました。信虎・信玄・勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されました。
城は山腹から主郭にいたる通路に沿って、枡形虎口(ますがたこぐち)や郭(くるわ)が複雑かつ連続的に付設されているほか、竪掘(たてぼり)や堀切(ほりきり)を要所に設けて防御を固めています。山頂の主郭には、規模の大きな建物が存在したものと推定されます。
南東尾根上には支城の熊城(くまじょう)があり、深い堀切で区切られた連続的な小郭と畝状竪掘(うねじょうたてぼり)が特徴的です。また、ふもとには根古屋の地名が残り、城番を勤める武士の屋敷が想定されています。
要害城は熊城とともに遺構の保存状態がきわめて良く、記録が豊富に残されているなど、戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な山城です。(平成3年3月30日指定)