塩見城は南北朝時代に土持氏が築いた城で、日知屋城・門川城とともに「日向三城」と呼ばれました。戦国時代は伊東氏の支配下に入りましたが、伊東氏が豊後へ敗走すると島津氏の持城となり、一門の吉利忠澄・忠張が城主として入城しています。その後、豊臣秀吉によって九州が統一されると延岡藩領となり、1615年(元和元年)に廃城となりまいた。現在城址は城山公園として整備されており、虎口と曲輪、土塁がわずかに残っています。
塩見城に関するデータ 情報の追加や修正
60 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
土持氏
着工 南北朝時代(1331年~1391年)
1615年(元和元年)
伊東氏
伊東氏
曲輪、土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 60 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 土持氏 |
築城開始・完了年 | 着工 南北朝時代(1331年~1391年) |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | 伊東氏 |
主な城主 | 伊東氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/27 03:31:22
塩見城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | あり |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
塩見城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する