塩見城
塩見城

[宮崎県][日向] 宮崎県日向市塩見


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.00(--位)
  • 見学時間:15分(--位)
  • 攻城人数:27(2593位)

塩見城跡の案内板

塩見城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

史跡 塩見城跡
塩見城は南北朝時代(一三三一〜一三九一)に土持氏が築いたと伝えられ日知屋城、門川城とともに「日向三城」と呼ばれた。そのご都於郡伊東氏の支配下に入り、綾民部左衛門義恒が居城した。(現姓細川氏)
又伊東一族の右松四郎左衛門が塩見地頭として入城したが天正五年(一五七七)に伊東氏が豊後へ敗走すると島津氏の持城となり、一門の吉利忠澄が城主として君臨した。平成七年一月 日向市教育委員会
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

塩見城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 (日経文芸文庫)

嘉吉元年1441年、時の将軍足利義教が赤松一族に殺される、いわゆる、嘉吉の乱からはじまる物語です。
播磨、備前、美作の守護を領していた大大名が、何故時の将軍を討ったのか、結果、討ち滅ぼされてから、お家再興のため、悪党と呼ばれながらも時代の流れに抗う様が描かれております。
昔よくいったお祭り、奇祭さいれん坊主が赤松一族の霊を弔うものとは知りませんでした。

デュラけんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る