阿尾城は菊地氏の居城として知られています。菊地氏は当初は上杉謙信に臣従していましたが、織田信長が北陸方面に勢力を伸ばしてくるとその配下の佐々成政に従い、さらに1584年(天正12年)に成政と羽柴秀吉が対立すると、秀吉配下の前田利家へ寝返り、城を明け渡しています。このため成政の命を受けた神保氏張・氏則父子により攻撃されましたが(阿尾城の合戦と、氷見合戦)、前田慶次郎が城代をつとめ撃退しています。現在、城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、本丸や二の丸などの曲輪も確認できます。
阿尾城を訪問した128人の報告によれば、平均見学時間は30分、平均評価は2.88点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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