木舟城は前田利家の末弟である前田秀継の悲劇の城として知られています。秀継が入城した1585年(天正13年)に起きた天正大地震により城の地盤が約9mも陥没し、城は倒壊して秀継夫妻は多くの家臣等とともに圧死したため、秀継の子である利秀が継いで木舟城に入城しました。しかし復旧は困難であるとの判断から翌年廃城となりました。城址にはわずかに残る土塁と石碑があるだけですが、付近にある貴布祢神社に案内板が建てられています。
木舟城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
木舟城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり(無料)
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
木舟城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
木舟城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
木舟城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する