徳山館はもともと室町時代に蝦夷管領の安東氏が築いたもので、当時は松前大館(大館)と呼ばれていました。松前大館は1457年(長禄元年)に発生したアイヌの首領・コシャマインとの戦い、さらに1513年(永正10年)のアイヌ人との戦いで落城しましたが、領主で蠣崎氏二代目の蠣崎光広が翌年の1514年(永正11年)に勝山館から移り、居館を改修して徳山館と名づけました。徳山館は1606年(慶長11年)に福山館(松前城)に移るまで、蠣崎氏による政庁とされました。現在、城址は整備されていませんが、土塁や空堀を確認することができます。また徳山館があった場所には徳山大神宮が建てられています。
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駐車場 | なし |
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現代風景の中の姫路城写真も掲載されていて、それが歴史の奥深さと融合しています。
一辺19センチの正方形一冊に姫路城への愛がぎっしりと詰まっているように思えます。もっと大きな判型で拝見したいところですが、身近にいつでもページを開くことができるというのも大切なポイントでしょうね。
デジタル写真にレタッチを施せる昨今にあって、このような調和のとれた発色・陰影表現を見習いたいものです。
大西義和さんとは2018年の秋に偶然に知り合いまして、こちらの89ページの「秋色 シロトピア記念公園」はおそらくその時に撮影された写真と思われます。それから一年に一度は撮影スポットでお目にかかることがあります。
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