館林城は徳川四天王のひとり、榊原康政が城主をつとめた城として知られています。戦国時代はおもに北条氏が支配しており、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城し、1590年(天正18年)の徳川家康の関東入封に伴って、康政が10万石で城主となり、石垣や天守を持つ近代的な城に造り変えました。その後、5代将軍・徳川綱吉も城主をつとめましたが、嫡男の徳松が急死すると廃城となりました。その24年後の1707年(宝永4年)、6代将軍・家宣の弟、松平清武が入城し、館林城を再健しました。以降は太田氏、松平氏、井上氏、秋元氏と頻繁に城主が替わりましたが、1874年(明治7年)に大名小路より出火した火災で城のほぼ半分を焼失し、焼け残った城内の建物も取り壊されました。現在、城址には市役所などが建てられており、三の丸跡に城壁と土橋門が復元されています。
目次
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館林城に関するデータ 情報の追加や修正
20.4 m
内郭:-- 外郭:--
天守は存在せず、三階櫓で代用していたとされる。
赤井照光か
着工 1530年(享禄3年) 〜 竣工 1532年(天文元年)
1874年(明治7年)
榊原康政、徳川綱吉、松平清武
赤井氏、榊原氏、松平氏、徳川氏ほか
曲輪、土塁、復元門
城壁、土橋門
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭梯郭複合式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 20.4 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 天守は存在せず、三階櫓で代用していたとされる。 |
築城主 | 赤井照光か |
築城開始・完了年 | 着工 1530年(享禄3年) 〜 竣工 1532年(天文元年) |
廃城年 | 1874年(明治7年) |
主な改修者 | 榊原康政、徳川綱吉、松平清武 |
主な城主 | 赤井氏、榊原氏、松平氏、徳川氏ほか |
遺構 | 曲輪、土塁、復元門 |
指定文化財 | |
復元状況 | 城壁、土橋門 |
更新日:2024/04/26 03:29:05
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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