高瀬城は米原(よねはら)氏の居城で「尼子十旗」のひとつに数えられます。米原氏は佐々木六角氏の支流で、出雲国守護代となった尼子氏の被官として下向しました。戦国時代の城主・米原綱寛は毛利氏に降伏するも、尼子勝久が1569年(永禄12年)に挙兵すると尼子再興軍に加わり、この城を拠点としました。しかし翌年の「布部山の戦い」で尼子方が大敗すると高瀬城は孤立することとなり、毛利輝元の軍勢に攻められ落城しました。その後は吉川元春が入城し尼子再興軍一掃の拠点として使われるも、尼子氏が滅亡すると廃城となりました。なお元春は父である毛利元就の訃報をこの城で受け取っています。現在城址には遊歩道が整備されていますが、遺構はほとんど残っていません。山頂の本丸跡に案内板が設置されています。
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