松尾城は土持七頭の筆頭・懸土持氏代々の居城として知られています。1578年(天正6年)に日向へ侵攻した大友宗麟に攻められ落城すると、城主・土持親成は捕縛され、自害させられました。その後、島津氏が「耳川の戦い」で勝利すると大友氏は日向から撤退したため島津氏の所領となり、親成の養子・土持高信が島津氏に仕え、島津義久から偏諱を賜り、土持久綱(ひさつな)と改名しています。1587年(天正15年)の豊臣秀吉による九州征伐の際にも総大将・豊臣秀長をはじめ、蜂須賀家政、毛利輝元、吉川元長、小早川隆景、黒田官兵衛など9万の大軍に包囲され、落城しました。九州仕置後、高橋元種が入封し、15年間ここを本城としますが、1603年(慶長8年)に延岡城を築いて移りました。現在城址には土塁や空堀などの遺構を確認することができ、南西隅部の曲輪に標柱が建てられています。また東にある本東寺には有馬直純の正室である日向御前の墓があります。
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54.5 m( 44 m)
内郭:-- 外郭:--
土持宣綱
着工 1444年(文安元年) 〜 竣工 1446年(文安3年)
1603年(慶長8年)
土持久綱、高橋元種
縣土持氏、高橋元種
曲輪
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 54.5 m( 44 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 土持宣綱 |
築城開始・完了年 | 着工 1444年(文安元年) 〜 竣工 1446年(文安3年) |
廃城年 | 1603年(慶長8年) |
主な改修者 | 土持久綱、高橋元種 |
主な城主 | 縣土持氏、高橋元種 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:56:34
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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