勝見城の詳細は不明ですが、上総権介広常の弟である金田小太夫頼次によって築かれた城とされています(金田康常による築城説など諸説あり)。金田康常とは従兄弟にあたる三浦義村が1247年(宝治元年)に起きた「宝治合戦」で滅ぼされると、金田氏も巻き込まれ、所領を失うことになります。その後、金田氏は康常の孫にあたる胤泰が叔父・鏑木胤定の家督を継いで鏑木胤泰を名乗り、千葉宗家の重臣となります。戦国時代には庁南城の武田氏の所領となり、大泉伊賀守らが城主をつとめましたが、1590年(天正18年)の「小田原合戦」後、庁南武田氏の滅亡とともに廃城となりました。現在城址は緑地休養施設「やすらぎの森」として整備されており、堀切などの遺構を確認できます。
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