荒砥城は荒川次郎清泰によって築かれた城です。戦国時代には伊達氏の支配下にあり、最上領と隣接する「境目の城」として重要視されました。最上義光との合戦において、伊達輝宗が一時本陣を構えたこともあります。1591年(天正19年)に伊達政宗が岩出山城に転封されると、代わって会津に入った蒲生氏郷の家臣である水野三左衛門が城代をつとめました。また上杉氏の時代には泉沢河内守久秀が城代をつとめています。現在城址は八乙女八幡神社の境内となっており、東側参道の階段脇に井戸跡が残っています。また本丸跡にある稲荷神社では直江兼続が戦勝祈願をしたあとに狐が道案内をしたと伝えられています。
荒砥城に関するデータ 情報の追加や修正
212 m( 20 m)
内郭:-- 外郭:--
荒川清泰
着工 永長年間(1096年~1097年)頃
江戸時代初期
馬場将監(伊達氏)
荒川清泰、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
曲輪、井戸
町史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 212 m( 20 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 荒川清泰 |
築城開始・完了年 | 着工 永長年間(1096年~1097年)頃 |
廃城年 | 江戸時代初期 |
主な改修者 | 馬場将監(伊達氏) |
主な城主 | 荒川清泰、伊達氏、蒲生氏、上杉氏 |
遺構 | 曲輪、井戸 |
指定文化財 | 町史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 14:38:39
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 公民館に駐車可能 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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