下之郷城は多賀豊後守高忠の居城として伝わります。多賀氏は若宮氏と並んで近江守護・京極氏の重臣でした。戦国時代に入り、1534年(天文3年)には多賀貞隆が浅井亮政の台頭に対抗するために六角定頼と結ぶと、亮政に攻められています。その後、7代・多賀土佐守実高が城主のときに織田信長によって攻められ落城しました。現在城址に遺構はなく、下之郷集落内の数カ所に堀跡などを示す石碑が建てられています。近くには藤堂高虎の出生地とされる「在士高虎公園(在士館跡)」があります。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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