太田和城は三浦義明の三男である大多和三郎義久によって築かれた城と伝わっています。三浦氏の本城である衣笠城の支城として、芦名城や怒田城とともに機能していました。とくに義久は鐙摺城主でもあったので衣笠城の南方を任されていたと思われます。現在城址は社会福祉法人の施設となっており遺構は残っていませんが、駐車場脇に「伝大田和城址」と書かれた石碑があります。
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武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。
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