和合城は葛尾城主・村上義清によって築かれた支城で、虚空蔵山一帯に築かれた村上連珠砦群のひとつに数えられます。武田氏の支配下になったあとは家臣の多田氏が守備しており、さらに武田氏滅亡後は上杉氏の属城となり、当時徳川氏に属していた真田昌幸に対する抑えとして島津忠直が入城しました。また1600年(慶長5年)の「関ケ原の戦い」の際には上田城の昌幸に備えるために森忠政が陣を置いたともいわれています。現在城址には土塁や堀切などの遺構が確認でき、本丸跡周辺には石垣が残っています。三の丸跡に案内板が設置されています。
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武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。
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