河和城は田原城主・戸田宗光によって築かれた城です。宗光の子である戸田憲光は「河和殿」と呼ばれ、その後も繁光、孫八郎守光とつづきましたが、守光が「小田原の役」で討死すると、城は領民の手によって破壊されました。守光の妻は城を脱して叔母である於大の方を頼って江戸に移り住み、守光の遺児・万千代(のちの水野惣右衛門光康)は母の旧姓である水野氏を名乗って徳川家康に仕えました。現在城址には土塁や空堀などの遺構が良好に保存されています。
河和城を訪問した135人の報告によれば、平均見学時間は21分、平均評価は2.67点となっています。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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