別名 一色城、長山一色城

牛久保一色城は関東公方・足利持氏の家臣である一色刑部少輔時家によって築かれたと伝わる城です。時家は「永享の乱」では関東管領・上杉憲実の討伐に参加しましたが敗れ、同族である三河守護・一色氏を頼って三河へ逃れました。そして築いたのがこの城です。1477年(文明9年)には時家を討った家臣の波多野全慶が城主となりましたが、全慶も同じく時家の家臣であった牧野古白に討たれています。古白はその後、吉田城を築いて居城を移したため、牧野成勝が城主となりましたが、成勝が新城(牛久保城)を築くと廃城となりました。現在城址には大聖寺があり、境内には一色時家の墓のほか、今川義元の胴塚とされる墓所があります。
牛久保一色城を訪問した138人の報告によれば、平均見学時間は18分、平均評価は2.50点となっています。
牛久保一色城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
牛久保一色城へのアクセス情報 情報の追加や修正
---
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
各スポットの詳細な位置関係は 周辺地図で確認してください。
最寄りのバス停牛久保一色城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
牛久保一色城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
情報提供元:楽天トラベル
まだ本城登録している団員がいません
築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する