矢沢陣屋は江戸時代に上田城主・仙石忠政の三男で、仙石政俊の弟である仙石治左衛門政勝によって築かれた陣屋です。兄の政俊が隠居する際に分知が認められたため陣屋を築きましたが、政俊をはじめ領主は江戸定府だったため、田中氏が代官として派遣されました。矢沢城の麓にあり、矢沢氏の居館跡を利用したものと考えられます。仙石氏本家が出石藩に移封されたのちも政勝の子孫はこの地を治め、7代・仙石政相のときに明治維新を迎えました。現在は私有地となり、子孫の方が住まれていますので見学や撮影には注意してください。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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