小川城は沼田景久が沼田城の西の備えとして築いた城です。景久は二男の景秋に小川氏を名乗らせて城主としました。景秋の子の秀泰は岡林斎と名乗り、沼田七騎のひとりに数えられています。4代景奥が討死して小川氏が断絶すると、上杉謙信の裁可によって赤松祐正が小川可遊斎を名乗り城主となりましたが、謙信没後の「御舘の乱」の際に可遊斉は真田昌幸に従っています。しかし北条氏邦に攻められ可遊斉は越後へ敗走し、さらに昌幸が城を奪還すると小川氏一門の沼田衆の重鎮である北能登守を城代に任じています。現在城址は本丸部分が公園化されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
小川城を訪問した231人の報告によれば、平均見学時間は23分、平均評価は3.13点となっています。
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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