小川城は沼田景久が沼田城の西の備えとして築いた城です。景久は二男の景秋に小川氏を名乗らせて城主としました。景秋の子の秀泰は岡林斎と名乗り、沼田七騎のひとりに数えられています。4代景奥が討死して小川氏が断絶すると、上杉謙信の裁可によって赤松祐正が小川可遊斎を名乗り城主となりましたが、謙信没後の「御舘の乱」の際に可遊斉は真田昌幸に従っています。しかし北条氏邦に攻められ可遊斉は越後へ敗走し、さらに昌幸が城を奪還すると小川氏一門の沼田衆の重鎮である北能登守を城代に任じています。現在城址は本丸部分が公園化されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
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( 60 m)
内郭:-- 外郭:--
沼田景久
着工 1492年(明応元年)
1655年(明暦元年)頃
小川氏
曲輪、空堀、土塁
町史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 崖端城(丘城) |
標高(比高) | --( 60 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 沼田景久 |
築城開始・完了年 | 着工 1492年(明応元年) |
廃城年 | 1655年(明暦元年)頃 |
主な改修者 | |
主な城主 | 小川氏 |
遺構 | 曲輪、空堀、土塁 |
指定文化財 | 町史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 14:20:59
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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