別名 如意城、勝興寺城

古国府城は越中守山城の支城として、伏木港を見下ろす高台に築かれた城です。1583年(天正11年)に富山城主・佐々成政が越中平定すると、神保氏張は成政に臣従しました。翌年、成政が豊臣秀吉と敵対し、隣国の前田利家との間で緊張が高まると、越中の一向一揆を味方につけるために、この城を破却して敷地を一向宗の中心勢力であった勝興寺に寄進し、寺を移しました。その後、成政が秀吉に降伏し、前田氏の所領となったあとも勝興寺は手厚く保護され、加賀藩10代藩主の前田治脩は若年期に一時出家しており、ここで得度しています。現在城址には勝興寺が建てられており、周囲の土塁や空堀が当時の遺構とされています。なお勝興寺の唐門は京都興正寺の移築門で、重要文化財に指定されています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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