富崎城は神保氏の有力な支城のひとつです。神保安芸守長職は1562年(永禄5年)に上杉謙信に臣従し、増山城に本拠を移すと、その後は上杉氏が改修して利用しています。1581年(天正9年)には織田信長の家臣である佐々成政が越中へ侵攻し、長職の旧臣である寺島盛徳(寺嶋牛之助)、小島甚助らがこの城で抵抗しますが、最終的には城に火を放って五箇山へ逃走しています。現在の富山市立城山中学校の南西の丘陵が城址で、土塁や空堀などの遺構を確認できます。また東麓にある本覚寺は神保長職の菩提寺で、この寺の梵鐘の音色が富山城のものより素晴らしかったことで成政の怒りに触れ、内側に砂を焼き付けさせられたと伝わっています。
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92.5 m( 50 m)
内郭:-- 外郭:--
神保八郎左衛門
着工 1441年(嘉吉元年)
1581年(天正9年)
水越氏、上杉氏
神保氏、水越氏、寺島氏、一向一揆勢
曲輪、空堀、井戸
項目 | データ |
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曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 92.5 m( 50 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 神保八郎左衛門 |
築城開始・完了年 | 着工 1441年(嘉吉元年) |
廃城年 | 1581年(天正9年) |
主な改修者 | 水越氏、上杉氏 |
主な城主 | 神保氏、水越氏、寺島氏、一向一揆勢 |
遺構 | 曲輪、空堀、井戸 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:46:06
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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