別名 矢倉畦城、桝形城、桝形山城

矢倉城は田中氏の居城として知られています。戦国時代、田中直重は三村元親に仕え、備中松山城の前衛城の役割をになっていましたが、1574年(天正2年)に毛利氏によって攻略されると、その後は難波親俊が城主となりました。1582年(天正10年)、親俊は備中高松城へ加勢に出向き、清水宗治とともに自害しています。現在城址には土塁が残っており、堀跡と思われる一帯が水田となっています。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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