河内浦城は天草五人衆のひとり、天草氏の居城です。向かいの山に築かれた下田城とあわせて、ひとつの城を構成していました。「関ケ原の戦い」後は寺沢氏の支城となり、並河兵衛門宗政が城主をつとめましたが、「元和の一国一城令」によって廃城となり、以降は郡代屋敷が置かれました。1637年(寛永14年)に起きた「島原の乱」では江戸から派遣され、乱を鎮圧した老中・松平信綱の宿所としても使われています。現在城址は「河内浦城跡公園」として整備されており、堀切などが残っています。山麓にある崇円寺は館跡と推定されており、また発掘調査で見つかった遺物は「河内浦城跡資料展示館」に展示されています。
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