下三瀬城は北畠氏の家臣、三瀬氏の居城です。1569年(永禄12年)の織田信長による伊勢侵攻の際には、三瀬左京が北畠具教に従って抵抗しています。交通の要衝であり、また河岸段丘に築かれた要害であったため、具教が信長と和睦したのちも具教が隠棲した三瀬館の守備の要でした。なお、織田信雄が北畠具教を暗殺したときの城主・長野左京進は三瀬左京と同一人物の説があります。現在城址には主郭部を囲う高さ約4mの土塁が完存しており、東側虎口に城址碑と案内板が建てられています。また北方にある慶雲寺は三瀬氏の菩提寺と伝えられ、三瀬氏の位牌や三瀬氏最後の武将で「大坂夏の陣」で討死した三瀬左京祐の木像が安置されており、左京祐の供養が起源とされる「下三瀬羯鼓(かんこ)踊り」が毎年8月に催されます。
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攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。
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