桜井城は東胤頼の居城として知られています。『千葉大系図』によれば、それ以前は上代越後守が居城し、東庄町小南の御門城に移る際に胤頼に譲ったと記されています。その胤頼ものちに須賀山城を築いて居城を移しました。天正年間には徳川家康の家臣で、『家忠日記』の著者として知られる松平家忠が忍城から桜井城(上代城)に入りましたが、1594年(文禄3年)に家忠が小見川城に移されると廃城となりました。現在城址では土塁、空堀などの遺構を確認することができます。
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桜井城に関するデータ 情報の追加や修正
45 m( 40 m)
内郭:-- 外郭:--
1592年(文禄元年)頃
上代越後守が、東胤頼、松平家忠
土塁、堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 丘城 |
標高(比高) | 45 m( 40 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | |
築城開始・完了年 | |
廃城年 | 1592年(文禄元年)頃 |
主な改修者 | |
主な城主 | 上代越後守が、東胤頼、松平家忠 |
遺構 | 土塁、堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
登録日:2017/03/09 11:33:46
更新日:2024/07/27 03:44:09
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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