赤尾津城は小笠原光貞によって築かれた城です。その後、光貞は赤尾津氏を称して以降、赤尾津氏の居城となりました。「由利十二頭」とも呼ばれた赤尾津氏ら由利党は「関ケ原の戦い」では最上義光の指揮下に入り出羽合戦に参加しています。1602年(慶長7年)に由利郡は最上領となり、湯沢城主・楯岡満茂が城主として入り、赤尾津満茂を名乗りますが、1612年(慶長17年)には本荘城を築いて居城を移したため、その頃に廃城となったと思われます。現在城址は「高城城址公園」となっていますが、遺構はなく、曲輪跡を確認できるのみです。また1623年(元和9年)に岩城吉隆が入封した際には西麓に亀田陣屋が築かれました。
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170 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
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三の丸跡に「高城歴史動植物展示館」という天守を模した建造物が建てられている。
小笠原光貞か
着工 南北朝時代頃
1612年(慶長17年)か
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赤尾津氏、楯岡氏
曲輪
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模擬天守
登録日:2017/02/28 15:03:41
更新日:2024/11/23 03:52:08
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高城山城址公園駐車場(無料)
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