本荘城は最上義光の家臣、楯岡満茂によって築かれた城です。江戸時代に入ってから築かれた城で、当初は「本城城」と呼ばれていました。最上氏が断絶になったあとは、失脚した本多正純が入り、さらに正純が佐竹氏預かりの身になったのちは六郷政乗が転封されています。政乗の時代に城の規模を縮小して本荘城と改称されました。以降240年間、六郷氏が城主をつとめています。現在、城址は本荘公園として整備されており、土塁や堀が残っています。また、本丸跡には本荘神社が祀られており、三の丸には模擬城門が築かれています。
目次
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本荘城に関するデータ 情報の追加や修正
25.5 m
内郭:4.72 ha 外郭:--
天守はなかったが、本丸に天守代用の二重櫓があった。
楯岡満茂
着工 1610年(慶長15年) 〜 竣工 1612年(慶長17年)
1869年(明治2年)
楯岡氏、本多氏、六郷氏
曲輪、土塁、水堀
市史跡
門
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 25.5 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:4.72 ha 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 天守はなかったが、本丸に天守代用の二重櫓があった。 |
築城主 | 楯岡満茂 |
築城開始・完了年 | 着工 1610年(慶長15年) 〜 竣工 1612年(慶長17年) |
廃城年 | 1869年(明治2年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 楯岡氏、本多氏、六郷氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、水堀 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 | 門 |
更新日:2024/03/19 14:44:14
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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