五十公野城は新発田氏の一族である五十公野氏によって築かれた城です。「御館の乱」の恩賞に不満を抱いて上杉景勝に反乱を起こした新発田重家はかつて養子として五十公野氏を継ぎ、五十公野源太治長と称していました。1580年(天正8年)に兄・長敦の死によって重家が新発田氏を継いだため、重家の妹婿である長沢義風(道如斎)が五十公野信宗と名乗り、五十公野氏を継ぎました。信宗は翌1581年(天正9年)からはじまる重家の反乱に従いましたが、1587年(天正15年)10月に藤田信吉の軍勢に攻められ落城し、信宗も自刃しました。現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、本丸跡には城址碑が建てられています。
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