木尾嶽城は富来俊行によって築かれた城です。南北朝期に三度の合戦の舞台となりました。室町時代以降は能登守護・畠山氏の属城となり、1576年(天正4年)以降は上杉謙信と畠山氏側とで争奪戦が繰り広げられました。現在城址には三重の堀切などの遺構があります。山の北側、JA富来配送センター脇に案内板と登山道入口があります(山頂まで徒歩20分)。また県道23号線と県道51号線の交差点に城址碑が建てられています。
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武田信玄が村上義清の戸石城を攻めて大敗した「戸石崩れ」の敗走の様を小者の視点から描く。半助は62歳、雨宮佐兵衛の小者である。小者は主人の世話をするために従軍し、戦場では戦いには加わらず主人の活躍と無事を願い、味方の救護に当たる。だが敗け戦となれば小者とて知恵、機転、勘、持てる物すべてを使って死地を脱出しなければならない。前半は戦の支度から戸石への行軍と攻城戦の様子を描き、後半戸石城から長窪城までの敗走が始まると目が離せない緊迫した場面が続く。戦の支度の様子から目を背けたくなるような凄惨な場面まで、描写がとても具体的でリアルな戦国の戦いが感じられる。
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