唐津城主・寺沢広高によって築かれ、「島原・天草一揆(島原の乱)」では一揆軍の攻撃を受けた富岡城にも攻城団のチラシを置いていただきました。
本丸跡に復元された高麗門と本丸多聞櫓の写真を使わせていただきました。
チラシにも写真が使われている熊本県富岡ビジターセンターで入手できます。
苓北町歴史資料館と苓北町観光案内所(富岡港船客待合所内)でも入手可能です。
苓北町商工観光課の宅島さんからコメントをいただけたのでご紹介します。
コラボチラシコレクションを公開しました。お持ちのコラボチラシをチェックしてみてください。
「最近のひとこと」のようにカジュアルに攻城時の思い出などを投稿できる「城活ノート」を公開しました。
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富岡城は、その唐津藩初代藩主の寺澤広高により、慶長7年(1602年)~慶長9年(1604年)ごろに築城されたお城です。
富岡城は、寛永14年(1637年)に起きた「島原・天草一揆」の際、幕府側の拠点として一揆勢の攻撃を受けましたが、必死の守りで落城を免れました。
一揆後、天草地域は、築城の名手と言われた山﨑家治の領地となり、一揆の攻撃を受けた富岡城の修築及び拡張を行いました。
その後、富岡城は、天草の文化・政治の中心地としてその威容を誇っていましたが、寛文11年(1671年)、当時天草を治めていた戸田忠昌により、三の丸を残して破城されました。忠昌が富岡城を破城した理由は、富岡城の維持費が天草領民の負担となっていたことから、その負担を取り除くために破城したといわれています。
現在の富岡城は、山﨑家治が修築・拡張したものを基に復元したもので、本丸の櫓は「熊本県富岡ビジターセンター」、二の丸の長屋は「苓北町歴史資料館」として苓北町の観光施設となっています。
また、富岡の曲﨑(巴﨑)は、特殊な自然の地形である砂嘴(さし)を形成しており、京都の天橋立に似ていることから「小天橋」と呼ばれています。現在富岡城に「富岡の股のぞき台」を設置しておりますので、ぜひお試しいただき、天に架かる橋のような姿をご覧ください。