美濃守護・土岐頼芸の居城で、現在は城址までの登山道が整備されている大桑城にも攻城団のチラシを置いていただきました。
山頂にあるミニチュア天守の写真を使わせていただきました。
はじかみ林道、古山城登山道とそれぞれの登山口で入手できます。
どちらのルートで登っても大丈夫なので忘れずに持って帰ってくださいね。
山県市役所の山菅さんからコメントをいただけたのでご紹介します。
コラボチラシコレクションを公開しました。お持ちのコラボチラシをチェックしてみてください。
toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
つづきを読む昨年に続いて第6回目となる団員総会を開催したのでレポートを書きました。今年は去年と同じ会場でしたが、内容はかなりアップデートしています。とくに「お城ビンゴ」は盛り上がったので、今後の定番ゲームにしていきたいですね。来年はさらに多くの団員と集まりたいです。
つづきを読む美濃守護・土岐氏の庶流である久々利氏の居城、久々利城にも攻城団のチラシを置いていただきました。可児郷土歴史館と久々利地区センター、さらに可児市観光交流館で入手可能です。
つづきを読む小栗信濃守によって築かれた本陣山城(御嵩城)にも攻城団のチラシを置いていただきました。「東美濃の山城を制覇せよ!」キャンペーンの缶バッジ受取場所でもある、御嶽宿わいわい館で入手できます。
つづきを読む土岐明智氏の居城であり、戦国時代にはその一族である妻木氏の居城になった妻木城にも攻城団のチラシを置いていただきました。もとてらす東美濃で入手できます。
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大桑城は、天文4年(1535)に起きた長良川の大洪水により枝広(岐阜市長良)にあった守護所が大きな被害を受けたため、土岐氏は守護所を大桑に移したとされ、このとき、城下町とともに本格的に整備されたと考えられています。その後、稲葉山城(岐阜城)を居城とする家臣の斎藤道三によって攻められ、天文19年(1550)頃、道三は守護であった土岐頼芸を美濃から追放し、土岐氏の守護家としての隆盛は終わりを告げます。
これまでの調査では、航空レーザ測量を行って赤色立体地図を作成し、現地踏査で確認した山城を構成する遺構を照らし合わせ、大桑城跡の構造をわかりやすく図化した「大桑城跡遺構配置図」が完成しました。そして、石垣の分布調査では、約90箇所で石垣を確認しており、土を切り盛りして造る土の城が主流であったこの時代、土岐氏は石垣という新しい技術を導入し、城づくりを行っていたことが明らかになりました。
また、発掘調査を3箇所で行っており、近世の絵図に「岩門」と記されている大桑城の出入口にあたると考えられている場所では、土を盛った土塁の周りに巨石列・立石列・石垣を組み合わせて門を構築していることが明らかになり、門に巨大な石を使用することにより、城を訪れた者にその権威を見せつけたのではないかと考えられます。そして、大桑城の特徴の一つである尾根に挟まれた緩傾斜の谷筋に曲輪が段々に造られている曲輪群では、石垣を用いた中央通路を確認し、中国産磁器(染付・白磁・青磁)や国産(瀬戸・美濃地方)の陶器、土師器皿(かわらけ)など、600点以出土しています。さらに、近世の絵図に「台所」と記されている場所では、池を持つ庭園の痕跡や、庭園を眺めるための建物の痕跡、丁寧に積まれた石垣が見つかりました。土岐氏は美濃国の政治を行うかたわら、山上の美しい庭園を備えた建物で時に来客をもてなし、権力者として、文化人として、優雅に過ごしていたと窺えます。
そんな大桑城の所々に残る山城の遺構を横目に登山道を進み山頂に到着すると、目の前には岐阜城を頂く金華山、晴れていれば名古屋のビル群や伊勢湾まで見渡すことができます。山頂から拝む朝日は神々しく、気象条件によって眼下に広がる雲海の光景は、この地に立った人だけのご褒美と呼ぶにふさわしい絶景です。また、山頂には地元の有志によって造られたミニ模擬天守があり、写真スポットにもなっています。
ぜひ、大桑城へお越しください。