大和朝廷が軍事的拠点として築いた城柵で、今年創建1300年を迎える多賀城にも攻城団のチラシを置いていただきました。
現在復元中の南門の写真を使わせていただきました。
JR多賀城駅にある多賀城市観光案内所で入手できます。
また平日のみですが、多賀城市役所でも入手可能です。
西庁舎1階風除室、ロビーに置いていただいてます。
多賀城市企画経営部市民文化創造課の角田さんからコメントをいただけたのでご紹介します。
コラボチラシコレクションを公開しました。お持ちのコラボチラシをチェックしてみてください。
毎月恒例の月次レポートを公開します。台風や大雨でなかなか出かけられない日が続いていますが、もう少ししたら出かけやすい行楽シーズンがやってくるのでぼくも遠出を計画中です。では今月も攻城団をよろしくお願いします!
つづきを読む訪問ガイドに緯度経度が入力されていた場合の地図の表示方法を変更しました。画面遷移せずポップアップで確認できるようになったのでかなり便利だと思います。
つづきを読む攻城記録を残す際の公開用のメモ欄の名称を「共有メモ」から「訪問ガイド」に変更しましたので、その理由などを説明します。
つづきを読む歴史的にも有名な水攻めの舞台でもある、備中高松城にも攻城団のチラシを置いていただきました。城址にある備中高松城址資料館で入手できます。
つづきを読む今年も団員総会を開催します! 11月16日(土)に昨年と同じ京都アスニーの大きな和室を借りたのでぜひご参加ください。
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まちの地形は、東西に長く、市を2つに分けるようにして中心部を砂押川が流れています。
また、東部や北部には史跡が点在し、海に近い南部の平野には工場地帯が形成され、西部地区の平野には多くの田畑が広がっています。
多賀城市の市名の由来となっている「多賀城」は、中央政権により律令国家体制の確立・拡大のため、東北地方北部の支配の及ばない地域を行政的・軍事的に取り込んでいく目的で神亀元(724)年に創建された「城」です。
国府や鎮守府が置かれ多くの人や物が集まるなど、古代東北の政治・軍事・文化の拠点となりました。
「賀(よろこ)び多き城」と読むことができるように、東北の安寧を願ってつくられた城と言われており、宮城県の県名の由来の一つと言われています。
現在は、城跡が残るばかりですが、多賀城跡の中心である重要な儀式などを行っていたとされる多賀城政庁正殿跡には、多賀城が最も栄えた往時の礎石が残っています。
また、この多賀城跡の史跡内には、千年以上前に多賀城創建の時期を明らかにし、多くの和歌に「歌枕」として詠みこまれた国重要文化財「多賀城碑(歌枕:壺碑(つぼのいしぶみ))」が佇みます。
そしてその横に今まさに多賀城の正面の入り口である「多賀城南門」が復元されようとしています。
この南門の復元により、令和6(2024)年、創建から1300年という悠久の時を経て、多賀城政庁跡から多賀城南門を見下ろす風景がよみがえり、奈良・平安時代の風を今に感じることができます。
「宮城のはじまり、東北のはじまり」ともいえるこの「多賀城」が、令和6(2024)年に創建1300年という記念すべき年を迎えました。
この節目の年を盛大に盛り上げるべく、多賀城創建1300年記念事業として多種多様な文化プログラムを実施しています。
是非、この貴重な機会に多賀城にお越し下さい!