攻城団が提案するお城めぐりの旅行ガイド(モデルコース)です。旅程を考える際の参考にしてくださいね。
京都には大政奉還の舞台となった二条城を含め、四つの二条城があったことをご存知ですか。
修学旅行先としても有名な京都の二条城は江戸時代に入ってから徳川家康によって築かれたものです。京都にはそのほかにも織田信長が足利義昭のために築いた二条城(旧二条城)、その後、信長が上洛した時の宿所として築いた二条城(二条新御所)、豊臣秀吉が聚楽第ができる前に京都における拠点として築いた二条城(妙顕寺城、二条第)がありました。
いずれも現存していませんが城址には石碑がありますので、すべてをまわることができます。せっかくなので同じく京都市内にある聚楽第跡や本能寺跡などもまわってみませんか。
天気の良い日はレンタサイクルで移動するのも楽しいですよ。
出発地点はJR京都駅です。
東京駅からは、7:40発の「のぞみ101号」に乗れば、9:58に京都駅に到着します。
新大阪駅からは、9:35発の新快速「米原経由近江塩津行」に乗れば、9:59に京都駅に到着します。
博多駅からも、7:04発の「のぞみ6号」に乗れば、9:52に京都駅に到着します。
京都の玄関口、京都駅です。現在の駅舎は4代目で、1997年(平成9年)に完成しました。一年中、修学旅行生と海外からの観光客でにぎわっています。
烏丸口(北側)にバスターミナルがあります。
まずはバスターミナルで京都市バスの1日乗車券(600円)を購入しましょう。市バスの運賃は230円なので、3回乗れば元が取れます。
バス車内でも購入できますが枚数にかぎりがあるのと、混雑していると迷惑がかかるので駅周辺で購入しておくことをオススメします。
最初は本能寺跡に向かいます。
織田信長が明智光秀によって討たれた、いわゆる「本能寺の変」の舞台となった場所です。現在の本能寺は別の場所に移転しており、跡地には本能特別養護老人ホームなどが建てられています。
石碑が2か所(北東隅と西側)にありますので、その写真を撮りましょう。
現在も残る世界遺産・二条城は徳川家康が上洛した際の宿所として築城されました。いわゆる「天下普請」によって築かれた城で、征夷大将軍就任の祝賀の儀がおこなわれました。また幕末には大政奉還がおこなわれた城でもあり、江戸時代のはじまりと終わりを象徴する城です。
城内全体が国の史跡に指定されており、また二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。
天守は焼失しましたが天守台は残っていますし、輪郭式の縄張りもわかりやすいので、御殿だけでなく城内をゆっくり散策してみてください。
また一部の障壁画は「築城400年記念 展示・収蔵館」で鑑賞できますので、時間に余裕があれば入館することをオススメします。
秀吉の「二条第」は妙顕寺を移転させた跡地に建設されたことから「妙顕寺城」とも呼ばれます。二条城から堀川通をはさんで東側にあります。
聚楽第完成まで秀吉の政庁として使われ、ふだんは前田玄以が在城しました。周囲の地名に「古城(ふるしろ)町」「下古城(しもふるしろ)町」と当時の名残があります。
周囲に堀を巡らし天守もあったそうですが、現在は西福寺の門前に石碑が残るのみです。ここは前を通って写真を撮るくらいですね。
つづいて二条古城です。ここは信長が京都所司代の村井貞勝に命じて二条家の邸宅を改修して築いた城です。その後、誠仁親王に献上して「二条新御所」と呼ばれるようになりました。正親町天皇が居住する「上御所」に対して「下御所」とも呼ばれたようです。
「本能寺の変」の際に、隣接する妙覚寺にいた信長の嫡男、織田信忠が誠仁親王らを脱出させた上でここに籠城し、攻囲する明智光秀勢と奮戦しましたが、妙覚寺とともに焼け落ちたといわれています。
現在跡地には京都国際マンガミュージアムなどがあり、石碑は以下の2か所にあります。
この周辺(烏丸御池)には飲食店がたくさんあるのでランチの場所には困らないと思います。
京都で有名な「イノダコーヒ本店」も徒歩圏内ですし、「伊右衛門サロン京都」などもあります。また、京都国際マンガミュージアムでも食事が可能です。
旧二条城は織田信長が足利義昭のために築いた城です。
もともとは義昭の兄、足利義輝が幕府の重鎮であった斯波氏の屋敷跡に築いた城がありました。現在このあたりの地名が「武衛陣町(ぶえいじんちょう)」なのは斯波氏の職名が「武衛(ぶえい)」だったからです。ただしこの義輝の城は完成寸前に三好三人衆・松永久秀らの襲撃を受け、義輝は殺害されました(永禄の変)。
その後、義昭が信長の武力を後ろ盾に上洛を果たすと、当初は六条堀川にあった本圀寺を仮居所(六条御所)としましたが、三好三人衆による襲撃を受けたため、より強固な居所の必要性を感じ、信長自ら普請総奉行として約70日という短期間で築城しました。しかし義昭と信長の関係が悪化して、義昭が京都から追放されると城は解体され、安土城の資材として転用されました。
石碑は平安女学院の敷地の一角にあります。ここも石碑の写真を撮るだけですね。
聚楽第は関白になった豊臣秀吉が政庁兼邸宅として築いた城です。竣工後8年で取り壊されたため不明な点が多いのですが、堀をめぐらせ天守に相当する建物もあった平城で、「聚楽城」とも呼ばれました。
関白職とともに豊臣秀次に譲ったものの、いわゆる「秀次切腹事件」の際に破却されました。周辺には黒田孝高、千利休などの屋敷跡を示す石碑があるほか、「如水町」「福島町」などの地名に名残が残っています。
石碑は以下の4箇所にありますので、レンタサイクルで移動する場合はすべてまわってみるのがいいと思います(歩いてまわると1時間近くかかると思います)。
また10分ほど北に歩いたところにある京都市考古資料館(上京区元伊佐町)の2階にある常設展では、城下の大名屋敷跡地で出土した金箔瓦が展示されていますので、時間に余裕があれば寄ってみてください。
京都市考古資料館は聚楽第跡近くにある考古資料専門の博物館です。
現在存在する聚楽第跡関連の石碑を地図にしたので散策時の参考にしてください。
現在の本能寺は京都市役所のすぐそばにあります。ここに移転させたのは豊臣秀吉です。
ここには信長の墓(信長公御廟所)があります。遺体が発見されなかったため太刀が納められているそうです。
また、大賓殿宝物館(9時00分~17時00分)には「本能寺の変」の前夜、突然鳴き出して異変を知らせたという「三足の蛙」や、信長が所持していた建盞天目茶碗(けんさんてんもくちゃわん)が展示されているので、ぜひ見学してください。
夕食までの時間、徒歩圏内にある新京極や錦市場、河原町といった繁華街を散策しましょう。修学旅行気分を味わってください。
夕食は1873年(明治6年)創業の老舗・三嶋亭ですき焼きを食べましょう。
京町家造りの店内は旅の締めくくりをきっと盛り上げてくれるはずです。
テーブル(個室)ごとに仲居さんがついて焼いてくださるので、ほんとうにおいしい関西風のすき焼きを味わえますよ。
なお、人気店なので、なるだけ早めに予約しておくことをオススメします。
京都駅に戻ってきました。
もし帰りの新幹線まで時間があるなら、京都タワーにのぼるのもいいですね。21時まで(最終入場は20時40分)やってます。
京都市内にはホテルはたくさんあるので、翌日の予定次第でエリアを決めるのがいいでしょうね。ただし市内はバスのルートがたくさんありますので、清水寺や平安神宮、金閣寺など寺社仏閣巡りならどこからでもアクセス可能だと思います。
もし翌日もお城を攻めるなら、姫路城、大阪城、彦根城がいずれも電車(姫路城は新幹線)で京都駅から1時間程度でいけますね(このうち2つなら一日でまわることも可能です)。
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