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榎本秋先生の最新刊「超約版 家康名語録」の出版記念ライブを生配信しました
攻城団でお世話になっている榎本先生の最新刊「超約版 家康名語録」が来週発売されるので、ひと足早くその内容を紹介する番組を生配信しました。
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それなりの戦国大名家は合戦で負けても滅亡しない(ことが多い)
桶狭間の戦いで今川義元が討死しても今川家は滅亡しなかったように、それなりの規模の戦国大名は一度の合戦での敗北では滅亡しないということをいろんな大名家のケースをもとに検証してみました。
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ウェッジブックスから出版される榎本先生の最新刊「超約版 家康名語録」のサイン本を5名の方にプレゼントします!
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歴史ゲーム「太閤立志伝V DX」について榎本先生と語り合いました
名作・神ゲーと大絶賛されている歴史ゲーム「太閤立志伝V DX」について榎本先生と話した番組を公開しました。
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徳川将軍家の正室(御台所)という視点から、江戸幕府を見てみました。いろいろと脱線もしながら今回も榎本先生に楽しく教わりました。
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【戦国軍師入門】本多正信――武断派に嫌われながら幕府を守った、家康の懐刀
本多正信の「権あるものは禄少なく、禄あるものは権少なく」という考え方は江戸時代の幕藩体制そのもので、石高の多い外様大名は国政に参加することを許さず、また老中はじめ権力の中枢にいる者たちは井伊家以外は20万石未満でした。国政のシステムの基盤を構築するのは軍師として最高の仕事かもしれませんね。
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【戦国軍師入門】直江兼続――主家存続に生涯を捧げた文武兼備の智将
4万石の半分を与えられた島左近もすごいですが、120万石のうち30万石を与えられた直江兼続はさらにすごいですね。ちなみに「直江状」の真贋論争ですが、不自然な部分がある一方で当事者しか知りえない事実が書かれていたりして、いまなお決着がついていません。
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【戦国軍師入門】島勝猛(左近)――不死伝説まで生まれた悲劇の名将
京都・立本寺にある島清興の墓には「寛永9年没」とあり、島左近が江戸時代を僧侶として生きたと伝わっています。対馬や陸前高田にも墓があるそうで、ほかにも関ヶ原の戦いで生き延びた伝説が全国各地に残っているそうです。
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どうしても西郷輝彦さんの片倉小十郎景綱が浮かびますね。ちなみに嫡男・重綱(のちに重長)も父に劣らぬ智勇兼備の名将で「鬼の小十郎」と称され、さらに重長の子・景長もまた小十郎を名乗ったそうです。伊達家において「片倉小十郎」の名前は忠臣の鑑でした。
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【戦国軍師入門】黒田官兵衛――有能ゆえに疎まれた不遇の名軍師
秀吉に対する「御運が開かれる機会が参りましたな」のエピソードは幕末に書かれた『名将言行録』が出典なのでかなりあやしいと思います。秀吉が官兵衛を遠ざけた理由があるとしたら、彼がキリシタンだったことじゃないかなと。でも秀吉に恐れられたということが官兵衛のブランド価値を高めてもいますよね。
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【戦国軍師入門】立花道雪――輿で戦場を駆けめぐった、雷神の生まれ変わり
立花道雪には「雷切」はじめさまざまなエピソードが残っています。本文で紹介した主君を諌めるために京から呼んだ踊り子に踊らせたのが現代にも残っていて、それが大分市鶴崎の無形民俗文化財「鶴崎踊り」と言われています。
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【戦国軍師入門】角隈石宗――秘伝を火中に投じて散った軍配者の無念
角隈石宗の名前を知っているとちょっとだけ通っぽいですよね。いわゆる軍配者の典型例みたいな人物ですが、個人的に興味深いのは彼の最後となった「耳川の戦い」において忠告を無視されたにもかかわらず、出陣してるんですよね。負けるとわかっていても、死ぬとわかっていても戦うのが当時のメンタリティだったのでしょうか。
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龍造寺隆信と鍋島直茂の関係は上杉景勝と直江兼続に似ているように思うのですが、仕えた主君の性格が真逆だとまったくちがう結果になるのだなと。どっちの人生が幸せかはわかりませんけどね。
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【戦国軍師入門】竹中半兵衛――諸葛亮にも例えられた知性派策士
竹中半兵衛は諸葛亮孔明のようなイメージで語られていますが、そのほとんどは孔明に寄せた創作エピソードによるものなのでじっさいにどこまで活躍したのかは不明です。ただ偶像であれ、多くの方にいまなお愛されている武将であることはまちがいなく、三木市にある半兵衛のお墓にはいつも花が供えられています。
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【戦国軍師入門】蜂須賀正勝――「野盗の親分」、実は外交折衝の達人
有能な腹心がたくさんいたから秀吉は天下が取れたのでしょうが、その中でも蜂須賀正勝は渋くてぼくは好きです。弟の秀長をのぞけばもっとも長い付き合いかもしれないですね。
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【戦国軍師入門】宇佐美定満――軍神・謙信に兵法を授けた謎の軍師
江戸時代から見た戦国時代というと、令和から見る昭和くらいの時間差でしかないのですが、それでも架空の人物が生まれ、フィクションによる物語がつくられていくというのはおもしろいですね(おもしろいと同時に後世から見れば迷惑な話でもあるのですが)。
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大国にはさまれたいわゆる境界大名にも名軍師はいて、その代表的なひとりが甲斐宗運です。 彼は太原雪斎のように内政・軍事両面で阿蘇家を支えましたが、雪斎同様ひとりがすべてを取り仕切るリスクは大きく、宗運の死後すぐに阿蘇家は滅亡することになります。
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伊達政宗しかり戦国大名の家では先祖と同じ名前をつけることは珍しくないのですが、朝倉家は孝景も教景も複数います。教景にいたっては判明しているだけで5人が名乗っており、しかも3人は歴代当主です。襲名に近いのでしょうか。 なお近年の研究によると「朝倉孝景条々」は孝景の制定ではないとされています。
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活躍だけ見れば、息子の昌幸、孫の幸村よりも華々しいのが真田幸隆です。調略に長け、多くの城を攻め落とした点では羽柴秀吉に近いイメージがあります。
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NHK大河ドラマの主人公にもなり、またほかの作品にも多数登場していることからてっきり実在がたしかな軍師だと思っていた方も多いでしょうが(ぼくも最近までそうでした)いまなお山本勘助が実在していたか、実在していたとして名軍師だったのかはよくわかってないそうです。