舟岡城の築城年代は定かではありませんが、織田信長の加賀侵攻に備えて一向一揆勢によって築かれたと推定されています。1580年(天正8年)、織田軍による大規模な加賀一向一揆平定作戦により、若林長門父子が守る舟岡城も柴田勝家により攻め滅ぼされました。その後は丹羽長秀の家臣・早谷五左衛門が在城し、1585年(天正13年)以降は前田利家の家臣・高畠定吉が在城しましたが、江戸時代前には廃城となりました。現在も城址には遺構が良好な状態で保存されており、土塁・虎口・空堀・石垣などを見ることができます。
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舟岡城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
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アクセス(電車) | |
アクセス(クルマ) | |
駐車場 | 青年の家の駐車場を利用 |
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江戸城天守を再建する会の特別顧問をされている三浦正幸先生が書かれた著書で三浦先生のお話は講演会等でよくお聞きしているので、お城の構造について勉強したく手に取りました。前半は天守の外壁、窓、狭間、石落、そして基本的構造について詳細に解説されており、外壁の仕上げ、屋根、破風の形に格式の上下があることを知り、今後天守の見方が変わるように思えました。後半は現存12天守、失われた天守の詳細説明がされています。熊本城の宇土櫓が第一期普請で建てられた初代天守であることを初めて知りました。この一冊で天守の構造に付いてほぼ網羅していると思いますので、天守の構造について詳しく知りたい人にはお勧めです。なお、続編として「櫓・城門編」もあるようですのでそちらも読んでみようかと思います。
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