敏満寺城は天台宗寺院が城塞化した城郭寺院です。城址は全国的にも珍しい高速道路のサービスエリア内にあります。1562年(永禄5年)、浅井長政に攻められ40余りあったといわれる坊舎のほとんどが焼失しました。さらに1571年(元亀2年)には織田信長の命に応じなかったことから、残りの坊舎も焼かれ寺領も取り上げられてしまいました。江戸時代には彦根城築城のために城址に残った礎石も運び去られたため、遺構はほとんどありませんが、多賀SAのレストラン東側にある公園で土塁や櫓台を、高速道路の近くにある胡宮神社境内で土塁を確認できます。
敏満寺城を訪問した197人の報告によれば、平均見学時間は20分、平均評価は2.25点となっています。
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情報提供元:楽天トラベル
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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