坂井市丸岡観光協会によって作成された丸岡城の公式パンフレットです。
丸岡城の歴史
今から400年以上前の戦国時代、北陸地方でも大名・領主・一向一揆衆の間で争いが続けられていました。天正3年(1575)、織田信長は越前一向一揆を平定すべく、大軍をこの地に動員し、今の丸岡城から東方へ約4キロ余りの山中にあった一向宗の拠点豊原寺も、多くの寺坊が消失。その後、柴田勝家は越前(現福井県嶺北地方)に入り、北庄(現福井市)に城を構えました。
早速、越前での地盤を固めたい勝家は、養子で甥にあたる伊賀守勝豊に命じ、豊原に宮城を構えさせました。翌年、勝豊は、交通の利便性などから現在の場所に城を移しました。
現在の丸岡城は、濠は大正から昭和初期にかけて埋められ、本丸の天守閣と僅かに石垣を残し、城周辺は霞ヶ城公園となっています。
古風ながらも野面積みの石垣の上に建つその天守閣は、国内に現存する12の天守閣のうち、最古の建築様式を有するものです。