宇都宮城の歴代城主は平安時代の築城から数えて47人となります。
代々藤原宗円を祖とする下野宇都宮氏一族の拠点として受け継がれましたが、宇都宮国綱の代に豊臣秀吉の命により改易されることになります。国綱は小田原征伐に参陣し、石田三成の指揮した忍城攻撃などに参加するなど早くから秀吉に臣従しており、1594年(文禄3年)には豊臣姓を下賜されていたこともあり、この改易には不明な点も多いです。
江戸時代には徳川家康の懐刀と言われた本多正純などが城主をつとめます。
正純の時代には縄張りを拡張して宇都宮城を近世城郭とする一方、城下の日光街道と奥州街道を整備して町割を行いました。
その後、奥平氏、奥平松平氏、本多氏、奥平氏、阿部氏、戸田氏、深溝松平氏と譜代大名が城主として城主となりますが、江戸時代後期には戸田氏が治め、幕末を迎えることになりました。
宇都宮城の歴代城主
歴代 | 西暦(和暦) | 城主 | メモ |
---|---|---|---|
1 | 1063年(康平6年) | 藤原宗円 | 前九年の役、宇都宮明神の社務職となる |
2 | 八田宗綱 | ||
3 | 宇都宮朝綱 | 源頼朝が奥州攻撃前に宇都宮明神を参拝 | |
4 | 宇都宮成綱 | ||
5 | 宇都宮頼綱 | 法名は蓮生、百人一首の成立に関係 | |
6 | 宇都宮泰綱 | 鎌倉幕府の評定衆となる | |
7 | 宇都宮景綱 | 法名は連瑜、弘安式条を制定、引付衆 | |
8 | 宇都宮貞綱 | 蒙古襲来に大将軍として出陣、鉄塔婆建立 | |
9 | 宇都宮公綱 | 楠木正成との戦いで勇名をとどろかす | |
10 | 宇都宮氏綱 | 上野・越後の守護となる | |
11 | 宇都宮基綱 | 小山義政と戦い裳原(茂原)で戦死する | |
12 | 宇都宮満綱 | 汗かき阿弥陀を鋳造する | |
13 | 宇都宮持綱 | 塩谷氏にはかられ討たれる | |
14 | 宇都宮等綱 | 鎌倉公方足利成氏に敗れ白河に逃れる | |
15 | 宇都宮明綱 | 鎌倉公方足利成氏に降伏し復帰する | |
16 | 宇都宮正綱 | ||
17 | 1477年(文明9年) | 宇都宮成綱 | 成高寺、慈光寺を開く |
18 | 1516年(永正13年) | 宇都宮忠綱 | 猿山の合戦で結城政朝に敗れる |
19 | 1523年(大永3年) | 宇都宮興綱 | 結城政朝と組んで宇都宮城を占拠する |
20 | 1536年(天文5年) | 宇都宮尚綱 | 那須高資との戦い(五月女坂)で戦死 |
21 | 1557年(弘治3年) | 宇都宮広綱 | 北条氏政・武田勝頼らを退ける |
22 | 1576年(天正4年) | 宇都宮国綱 | 秀吉に所領を没収される、宇都宮家滅亡 |
23 | 1597年(慶長2年) | 浅野長政 | 城代 |
24 | 1598年(慶長3年) | 蒲生秀行 | 陸奥国会津へ転封 |
25 | 1601年(慶長6年) | 大河内秀綱 | 城代 |
26 | 1602年(慶長7年) | 奥平家昌 | |
27 | 1615年(元和元年) | 奥平忠昌 | 初の日光社参。下総国古河へ転封 |
28 | 1619年(元和5年) | 本多正純 | 釣天井伝説 |
29 | 1622年(元和8年) | 奥平忠昌 | 寛文の社参 |
30 | 1668年(寛文8年) | 奥平昌能 | 出羽国山形に転封 |
31 | 1669年(寛文9年) | 松平忠弘 | 浄瑠璃坂の仇討。陸奥国白河に転封 |
32 | 1681年(天和元年) | 本多忠平 | 大和国郡山に転封 |
33 | 1685年(貞享2年) | 奥平昌章 | |
34 | 1695年(元禄8年) | 奥平昌成 | 丹後国宮津へ転封 |
35 | 1697年(元禄10年) | 阿部正邦 | 備後国福山に転封 |
36 | 1710年(宝永7年) | 戸田忠真 | 享保の社参 |
37 | 1729年(享保14年) | 戸田忠余 | 善願寺の大仏 |
38 | 1746年(延享3年) | 戸田忠盈 | 肥前国島原に転封 |
39 | 1749年(寛延2年) | 松平忠祇 | |
40 | 1762年(宝暦12年) | 松平忠恕 | 籾摺騒動。肥前国島原に転封 |
41 | 1775年(安永4年) | 戸田忠寛 | 安永の社参 |
42 | 1798年(寛政10年) | 戸田忠翰 | 蒲生君平 |
43 | 1811年(文化8年) | 戸田忠延 | |
44 | 1823年(文政6年) | 戸田忠温 | 天保の社参 |
45 | 1851年(嘉永4年) | 戸田忠明 | 菊池教中の新田開発 |
46 | 1856年(安政3年) | 戸田忠恕 | 山稜修補 |
47 | 1868年(慶応4年) | 戸田忠友 | 廃藩置県 |
なお、戦国期には一時、塩谷氏や壬生綱房などの壬生氏一族、皆川俊宗に占拠された時期がありましたが、上記一覧にはこれを含めていません。