宇都宮城
宇都宮城

[栃木県][下野] 栃木県宇都宮市本丸町旭1丁目


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.97(--位)
  • 見学時間:40分(--位)
  • 攻城人数:1094(156位)

富士見櫓

富士見櫓は1619年(元和5年)、本多正純が城の改修を行った際に建てられた2重2階の櫓です。
現在の富士見櫓は2007年(平成19年)3月25日に復元されたものです。

富士見櫓 Fujimi-yagura
 宇都宮城本丸の土塁南西部にあった櫓で、江戸時代の絵図には瓦葺きで描かれており、広さ三間(5.9メートル)×四間(7.9メートル)と記録されています。
 富士見櫓の名のとおり、まわりに高い建物がなかった江戸時代には、遠く富士山の姿が望めたと考えられます。

内部を見学することもできます。

本丸内部から見た富士見櫓です。

   

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太田資正と戦国武州大乱~実像と戦国史跡~

太田資正(三楽斎)の名前は知っていたものの、その知識のほとんどは佐竹氏の客将時代のもので、岩付城主時代の活躍や、息子に城を追われた話などはぜんぜん知らなかった。合戦でも活躍した名将だけど、反北条同盟を画策したり、武田氏や上杉氏から佐竹氏への取次を頼まれるなど軍略家として見たときの資正は相当な傑物であると思う。

であるにもかかわらず秀吉から「三楽斎ほどの者が一国も取れぬ不思議よ」と言葉をかけられるほど、戦国時代というのは個人の力量だけではどうにもならない無情さを感じますね。
太田氏の歴史から、現在訪問できるゆかりの地の紹介まで、非常に充実した一冊です。

こうの)

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