宇都宮市によって作成された宇都宮城址公園の公式パンフレットです。
宇都宮城のはじまり
宇都宮城の基を築いたのは、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)とも藤原宗円(ふじわらのそうえん)ともいわれていますが、おおむね平安時代後期に築かれたものと考えられています。中世の宇都宮城
中世の城主は、宇都宮氏です。鎌倉幕府の有力な御家人として活躍した歴代城主の中には、小倉百人一首の成立にかかわった頼綱(よりつな)蓮生(れんしょう)、元寇(げんこう)に出陣した貞綱(さだつな)などがいます。近世の宇都宮城
500年にわたり城主であった宇都宮氏は豊臣秀吉(とよとみひでよし)に滅ぼされ、江戸時代には譜代大名の居城となりました。
なかでも、徳川家康(とくがわいえやす)の側近であった本多正純(ほんだまさずみ)は、城と城下町の大改造を行い、現在の宇都宮の街並みの原型をつくりました。
近世における最大の特徴は、「将軍の日光社参(にっこうしゃさん)における宿城」となったことです。
「日光社参」とは将軍による日光参詣のことですが、将軍と幕府の権威を全国に知らしめる重要な公式行事でした。
将軍が宿泊した城であったからこそ、「釣天井伝説」が創作されることになったのです。宇都宮城の焼失、そして復元へ
宇都宮城は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に、土方歳三(ひじかたとしぞう)らが率いる旧幕府軍に攻められ、建物の大半が焼失してしまいましたが、平成19年3月に、やぐらなどを復元し、公園としてよみがえりました。