宇都宮城
宇都宮城

[栃木県][下野] 栃木県宇都宮市本丸町旭1丁目


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.00(--位)
  • 見学時間:37分(--位)
  • 攻城人数:1150(156位)

宇都宮城(宇都宮城址公園)のパンフレット

宇都宮市によって作成された宇都宮城址公園の公式パンフレットです。

提供:宇都宮市
宇都宮城のはじまり
 宇都宮城の基を築いたのは、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)とも藤原宗円(ふじわらのそうえん)ともいわれていますが、おおむね平安時代後期に築かれたものと考えられています。
中世の宇都宮城
 中世の城主は、宇都宮氏です。鎌倉幕府の有力な御家人として活躍した歴代城主の中には、小倉百人一首の成立にかかわった頼綱(よりつな)蓮生(れんしょう)、元寇(げんこう)に出陣した貞綱(さだつな)などがいます。
近世の宇都宮城
 500年にわたり城主であった宇都宮氏は豊臣秀吉(とよとみひでよし)に滅ぼされ、江戸時代には譜代大名の居城となりました。
 なかでも、徳川家康(とくがわいえやす)の側近であった本多正純(ほんだまさずみ)は、城と城下町の大改造を行い、現在の宇都宮の街並みの原型をつくりました。
 近世における最大の特徴は、「将軍の日光社参(にっこうしゃさん)における宿城」となったことです。
「日光社参」とは将軍による日光参詣のことですが、将軍と幕府の権威を全国に知らしめる重要な公式行事でした。
 将軍が宿泊した城であったからこそ、「釣天井伝説」が創作されることになったのです。
宇都宮城の焼失、そして復元へ
 宇都宮城は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に、土方歳三(ひじかたとしぞう)らが率いる旧幕府軍に攻められ、建物の大半が焼失してしまいましたが、平成19年3月に、やぐらなどを復元し、公園としてよみがえりました。
提供:宇都宮市
提供:宇都宮市
提供:宇都宮市
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

宇都宮城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

ふくしまの古戦場物語

福島の地方出版本で最初に入手した本だったと思います。当時この本が福島めぐりの指針でした。

まーPさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る