別名 東郷城、槇山城

東郷槇山城は朝倉氏3代・氏景の次男、朝倉正景の居城として知られています。朝倉氏が本拠を一乗谷に移してからはその支城としての役割を担うようになりました。朝倉氏滅亡後は柴田勝家の所領となり、さらに1584年(天正12年)に長谷川秀一が城主となりましたが、秀一が朝鮮(文禄の役)で陣没したため、その後は丹羽長秀の次男、長昌が城主となっています。長昌は「関ヶ原の戦い」で西軍についたため、戦後に廃城となりました。現在城址は公園として整備されており、わずかに石垣や堀切などの遺構を確認することができます。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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