東郷槇山城は朝倉氏3代・氏景の次男、朝倉正景の居城として知られています。朝倉氏が本拠を一乗谷に移してからはその支城としての役割を担うようになりました。朝倉氏滅亡後は柴田勝家の所領となり、さらに1584年(天正12年)に長谷川秀一が城主となりましたが、秀一が朝鮮(文禄の役)で陣没したため、その後は丹羽長秀の次男、長昌が城主となっています。長昌は「関ヶ原の戦い」で西軍についたため、戦後に廃城となりました。現在城址は公園として整備されており、わずかに石垣や堀切などの遺構を確認することができます。
目次
東郷槇山城に関するデータ 情報の追加や修正
122 m( 100 m)
内郭:-- 外郭:--
朝倉正景か
着工 応永年間(1394年~1428年)か
1601年(慶長6年)
朝倉正景、長谷川秀一、丹羽長昌
曲輪、土塁、堀切
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 122 m( 100 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 朝倉正景か |
築城開始・完了年 | 着工 応永年間(1394年~1428年)か |
廃城年 | 1601年(慶長6年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 朝倉正景、長谷川秀一、丹羽長昌 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/27 13:24:12
項目 | データ |
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駐車場 |
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