加地城は宇多源氏・佐々木盛綱の末裔で越後・阿賀北地方の有力国人だった加地氏の居城です。要害山に築かれている加地城・滝城・麓城を総称して加地城と呼ばれています。戦国時代、加地春綱の代には上杉謙信の妹を娶り、息子の秀綱が「川中島の戦い」に参戦しましたが、謙信死後に起きた「御館の乱」では景虎方として戦っています。さらに1581年(天正9年)に新発田重家が挙兵するとこれに同調して再び上杉景勝に反旗を翻しましたが、1587年(天正15年)、景勝に攻められ落城しました。現在城址には登山道が整備されており、曲輪や堀切を確認することができます。近隣の香伝寺は加地氏の菩提寺です。
加地城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
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項目 | データ |
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駐車場 |
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視覚の持つ力はすごいなと思いました。現況の写真とCGを比べることができるので、とてもわかりやすいです。CGは、いくつかの所から提供されているので、以前ぽりへりさんがレビューされていたように、画質にばらつきがあります。と言うか、写真のようにリアルなものと、イラストのような感じのものがあります。現況に建物がほとんど残っていない城の方が、CGにしたときにインパクトがありますね。雲海写真にCGを重ねた竹田城もとても素敵でした。竹田城は、天守の形も不明な部分が多いし、他の城も、天守があったかどうか、形はどうかわからないことも多いので、絶対的な復元ではないことを心に留めて見ることも必要ですが、「こんな風景が広がっていたのか~」と眺めるのは、楽しいです。
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