安坂城は麻績城の支城で、麻績長親の次男である安坂次郎長国によって築城されました。以後、安坂氏代々の居城となりましたが、武田信玄に攻められ落城すると、城主・安坂筑後守は信濃守護・小笠原長時とともに越後の上杉謙信を頼って落ち延びています。その後は武田氏の家臣である安藤加賀守が城主をつとめましたが、1582年(天正10年)に「天正壬午の乱」が勃発すると、徳川家康の支援を受けた小笠原貞慶が信濃奪還に動き、1584年(天正12年)には貞慶によって攻略されました。現在城址には石垣や土塁のほか、連続堀切などの遺構を確認することができます。なお9月から11月中旬までは止山のため入山禁止となっています。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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