八重瀬グスクの詳細は不明ですが、のちに南山王となった汪英紫(おうえいじ)の居城という説があります。また汪英紫が島添大里グスクへ移った後は長男である達勃期(たぶち)が城主になったとも伝わりますが、いずれも定かではありません。南山王国滅亡後も尚巴志の四男が八重瀬按司となっていることから第一尚氏王統の時代までは存在していたと思われます。現在城址は「八重瀬公園」として整備されており、石積みなどの遺構を確認することができます。また県南部の桜の名所として知られており、毎年1月下旬から2月上旬にかけて「やえせ桜まつり」が開催されます。
目次
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 八重瀬公園駐車場(無料) |
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アイヌ民族についてこれまで「シャクシャインの戦い」「地図で見るアイヌの歴史」を読んできましたが、もっと知りたいと思いこの著書を手に取りました。この著書にはアイヌと認識される前の北海道に付いても記載があり、北海道式古墳というものがあることを北海道に22年間住んでいたにもかかわらず初めて知りました。現在の歴史の教科書にも記載のあるシャクシャインの戦いに対して弘前藩も出兵をしており、アイヌ勢と直接戦うことはなかったが、その当時弘前藩内には津軽アイヌの方々が生活しており、彼らは出兵の手助けをしたり、更に兵として参加していたという記録があるそうです。明治以降は日本とロシアとの政治的駆け引きに翻弄されるアイヌ民族を目の当たりにすると共に、この日本も決して単一民族国家では無いことを再認識させられる一冊でした。
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