紫波洲崎城は「伊東氏四十八城」のひとつに数えられる城で、川崎五郎左衛門良正が城主をつとめていました。伊東氏と島津氏の争奪が繰り広げられ、1577年(天正5年)に伊東義祐が豊後に逃亡したあとは島津氏が領有することとなり、宮崎地頭で上井覚兼の父・上井薫兼が城主となりました。しかし1587年(天正15年)の豊臣秀吉による九州征伐後は、日向に返り咲いた飫肥城主・伊東祐兵の所領となります。そのまま江戸時代を迎えますが、元和の一国一城令により廃城となりました。現在城址には本丸跡に仏舎利塔が建てられています。遺構としては、わずかに土塁を確認することができます。
目次
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65 m( 55 m)
内郭:-- 外郭:--
長井氏
着工 応永年間(1394年〜1428年)
1615年(元和元年)
長井氏、伊東氏、島津氏
曲輪、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 65 m( 55 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 長井氏 |
築城開始・完了年 | 着工 応永年間(1394年〜1428年) |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 長井氏、伊東氏、島津氏 |
遺構 | 曲輪、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/25 03:56:34
紫波洲崎城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり(無料、5台)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり(無料、5台) |
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