霞ヶ城は源義仲の家臣である手塚別当金刺光盛の居城として知られています。諏訪大社下社秋宮の南側に位置する山王台に築かれていました。光盛は「倶利伽羅峠の戦い」などで活躍し、「加賀篠原の戦い」では平家方の斎藤別当実盛と壮絶な一騎打ちを繰り広げ、見事に首を討ち取りますが、実盛は義仲の命の恩人であったため、義仲は号泣したと伝わります。戦国時代に入っても金刺氏が支配していましたが、1518年(永正15年)に諏訪頼満によって攻められると金刺昌春は武田信虎を頼って甲斐へ逃げ延びました。現在城址は諏訪大社の駐車場となっており遺構はありませんが、手塚盛澄の像と案内板が設置されています。
霞ヶ城を訪問した137人の報告によれば、平均見学時間は21分、平均評価は2.56点となっています。
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諏訪大社下社秋宮の参道右手の奥に駐車場あり
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